【三行日記】2022年1月①

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日々の記録として忘れ去りたくない記憶をぽつりぽつりと書き残しておきたい。毎日書くのはなかなか大変だけど、三行だけならきっと大丈夫。ちょっぴり忘れても追いつける。2022年は自分と向き合う時間をつくっていきたいな。

 

1月1日(土)

あたらしい朝が来た。でもただの朝じゃなくて新しい年を迎える朝だから、いつもより少しキラキラしているような気がする。お正月恒例のアルバイトは、お釣りを返したトレーごと間違えて持って行ってしまうお客さまがおもしろMVPでした。

 

1月2日(日)

バイト先の本屋さんは有線じゃないから季節に合ったBGMが流れている。とくに25日までのスーパークリスマスメドレーは、26日になったとたん「もう~~い~くつ寝ると~お正月~~~~♪」に変わる。変わり身が早くて笑ってしまうんだよな~。

 

1月3日(月)

三が日のテレビ三昧。我が家は通年録画容量に悩まされていたけど、年末にDVDにうつすやつを買ったため余裕があります。移したやつを再度見ることがあるのかと問われると、ない気もするけれど残っている安心感がすごい。いつ見たくなるか、わからないですからね。

 

1月4日(火)

セリアに行ったらかわいいシールがたくさんあって困った。ここ1年は手帳にこだわっていて、いかに自分で自分のテンションをあげられるのか気になるところ。1月の手帳用という名目で3枚ほど購入。開けてみると思ったより枚数あってびっくり。

 

1月5日(水)

大学四年生なので卒論追い込んでいる。今までレポートやらなんやらで文章を書いてきたけど卒論はやっぱり大変だな~と身に染みて感じている。自分の言いたいこととか考えてることをきちんと言語化して伝えるのって難しいな。

 

1月6日(木)

早起きすると一日が長い。私が自由に使える時間が増えるような気がする。だからいつも早起きから一日を始めようと思ってはいるんだけど寒い冬の日のふとんは手ごわいのだ。勝てる方法があるなら教えてほしいくらい。

 

1月7日(金)

朝から頭が痛い。昨日夜更かしして遅くまでインターネットの海をさまよっていたのが原因なんだろう。何も産まれないのに見てしまう恐ろしさがとてもこわい。

 

2022年になった。その最初の7日間。正月だからって不思議なことが起きるわけではないね。

【読書感想文】あこがれを抱きしめて

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いま、私が憧れているもの。

キラキラのネイル

すれ違ったときにどきっとする香水

縁側でお茶を飲む老後

泡であふれたお風呂

私だけの本屋さん

そして、赤のモレスキン

 

子どもの頃から「憧れ」がいっぱいある人生だった。

将来の夢も、なりたいひとも、やりたいこともたくさんある。

いつだってなにかに憧れて、目指して、叶えたり変えたりしてきた。

 

『赤いモレスキンの女』を読んで、またひとつ「憧れ」ができた。

 

私にとって「憧れ」が増えることは喜ばしいことだ。

なぜなら自分を変えるチャンスだからだ。現状維持だけになるのは嫌だ。

できることならひとつでもふたつでもタンスの肥やしを増やしておきたい。

 

赤いモレスキンへの憧れは、ただそれを買うだけではいけない。

この本に登場する赤いモレスキンの手帳の持ち主のように

手帳に私自身が表れるように書き留めて、考えて、また書き留める。

そうすることで私と向き合わなくてはならない。

それができるひとになってこそだと思うのだ。

 

 

赤いモレスキンが似合うひとになりたい。

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【読書感想文】だれのこころを

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久しぶりに夏目漱石の『こころ』を読み返した。

 

であいは5年前の夏。

高校2年生の7月、現代文の先生が言った。

 

「2学期は『こころ』をやるので、夏休みに読んでおいてください」

「教科書ではなく全文を」

 

先生がわざわざ珍しいことを言うもんだなと思い、本屋さんで買った。

 

 

先生の言葉は 本気 だったと断言できる。

読書感想文なんて書かない年になったけれど、止まることなく読んだ。

三部構成になっている『こころ』の上、中をゆっくり読んで、

下は最後の一文を読むまで止まらなかったのだ。

 

最後まで読んで、アツくなっていたわたしだけど

2学期に『こころ』を読んできたのは数人だけだった。

 

全部読んでも100%わからないし、

ぐるぐる、ぐるぐる考えてしまうそんな作品なのに

一部しか触れないなんてもったいないと思った。

 

 

はじめて読んだあの頃の感想が

どこにも言葉で残っていないのがとても悔しい。

もし今あなたが高校1、2年生なら、授業で勉強する前に

一冊の本として向き合って欲しい。なんなら感想も書き記して欲しい。

 

『こころ』を再読しようと思ったきっかけは『坊っちゃん』だ。

(結局チケットが取れなくて行けない)舞台観劇の予習をするつもりの

坊っちゃん』を読みながら『こころ』のことを思い出していた。

 

高2の私は、先生とKとお嬢さんの三角関係が非常に気になった。

手紙で明かされる先生の嫉妬や孤独感はつかめそうだけれど

Kとお嬢さんの真意はわからないし、先生もわからないのだと思う。

 

 

改めて読み返しても、やっぱり真意はわからなかった。

 

でも少なくとも、Kは先生に対して

先生がKに感じていた気持ちに似たモノを

もっていたのではないかと思えるようになった。

 

 

それは私が大学生活のうちに気づいた、

「私が誰かをうらやむのと同じくらい、誰かも他人をうらやんでいる」

というものだ。

 

 

憧れや尊敬のようなキラキラした気持ちから

嫉妬・嫌悪・拒否といったドス黒い気持ちまで

やっぱり自分以外の他者への気持ちはあふれてしまう。

 

自分のなかにあらわれたたくさんの気持ちと向き合うことが大切だ。

その術を学校で学び取るのだろう、と思う。

 

 

大学4年になった私は、「先生と私」の関係にも注目したい。

死ぬまで秘密にするつもりの告白をなぜ先生は私に打ち明けるのか。

手紙では書き手の先生のことを寄り添い、批判することができた。

 

でも先生と私のよくわからない親しさは何なのか、

どう生まれたのか、先生からの私への気持ちや揺れはまったくわからない。

言動から推測するだけだ。

 

先生と私のこころのうちを

先生とKとお嬢さんのこころのうちを考えるとともに

わたしのこころについても考える、向き合うことができるはずだ。

他人の生活を覗くっておもしろい

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なんだか変態みたいなタイトルになりました。

きちんとここで断っておきますが、一般人の家を覗き見したりなんてしません。

私もされたらいやなので。

 

私のいう「他人の生活」とは、YouTubeに投稿されている、

私ではない「誰か」の、暮らしをおさめた動画のことを指します。

 

去年からの自粛期間でYouTubeをよく見るようになりました。最初に興味を持ったのは、アイドルとお笑いでした。もともとすきなジャンル(お笑いは茶の間です)なのでスペシャル追加コンテンツだと思っている自分がいます。

本来ならお金を払って見ることができるものをありがたいことに無料で見れているな~という感じです。今現在もそんなふうに見ています。

 

その次に興味を持ったのは、ルームツアー動画でした。実家暮らしの私にとって「自分だけのお気に入りの空間をつくる」ことは憧れでした。こんな部屋に住んでみたいな~とかめちゃめちゃこだわりが詰まってるな~と思いながら見るのがすきです。

これは余談ですが、テレビを見ないので置いてません!という方が何人もいて驚きました。テレビだいすきマンなので…

 

たいていのルームツアー動画を見終えて、今度は「暮らし」「ルーティン」といった言葉で検索していました。そうして辿り着く動画のほとんどに謎の「Vlog」なる文字がありました。

 

今見ても、調べなきゃわかんねーよと思います。この「Vlog」は「Video」+「blog」を掛け合わせた造語であり、動画形式のブログを指します。ブログは書くもの読むものという時代から、撮るもの見るものにもなったということですね。内容は必ずこうでなくては!と決まっているわけでもなく、〇〇をした日の様子や、買い物した商品の紹介などさまざまです。私は同世代~少し年上(と思われる)方のVlogを好んで見ています。

 

そんな誰かの生活の一部を切り取った「Vlog」に、私は覗き見しているような感覚を覚えます。自分と家族以外の人間が生活している様子を見ることって基本ないじゃないですか?YouTubeという大きなプラットホームを介してVlogという窓に手をかける私。ちょっとこわいかも…?

 

人を家に呼ぶのも、誰かの家に行くのもちょっぴり抵抗感がある私は、誰かの生活を感じることが苦手だと認識していました。でもVlogYouTubeにアップされている以上、作り手の存在する意図をもった作品だと捉えることができます。だから私でも抵抗感なく見られています。

 

私が考えている以上に私は他人の生活に興味があるようです。苦手だからと避けてきたものが案外いいものだと気づく瞬間って、人生でそう何度も訪れないと思います。いい経験になりました。

 

Vlogは「誰か」の日常生活を切り取った動画です。その「誰か」がつくる作品として投稿されているからこそ安心して覗けてしまうのが魅力です。私にとっては勝手に元気や勇気をもらったり、励まされたり、ひとりじゃないんだときづかせてくれたりするものばかりです。

 

ほんとうの名前も知らない、私じゃない「誰か」も同じ世界で生きている。「誰か」の生活を自分と比べて落ち込む必要も羨む必要もないけれど、自分だけじゃないと気づくことができたら私は心が少し軽くなる気がします。

 

 

手っ取り早く笑顔になりたいときは、

お笑い芸人アインシュタインのモーニングルーティン動画がおすすめです。

Vlogかと聞かれると答えづらいですけどね。

【読書感想文】うどんみたいにつるりと読んだ

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おなじコンビニで18年間アルバイトを続ける。

これは異常なことなのか。普通に考えたら異常だと思うかもしれないけれど、私たちのいう普通に考えたらの「普通」は果たして本当に普通なのか。

そんなことを考えながら読んでいたら、いつのまにか最後まで読み終えてしまっていた。おそろしい。つるりと食べきったうどんのようでした。

 

実は私がはじめて村田沙耶香さんと出会ったのは、この『コンビニ人間』ではありません。2019年に見た「inseparable 変半身(かわりみ)」でした。その演劇に村田さんは原案として関わっていらして、パンフレットを見た私も「あー『コンビニ人間』の人なのね」と、そんな感じでした。

詳しくは話すと長くなるんですけど、舞台設定が(変態な意味で)すごくて正直「なんだこの世界観…こんなの誰が思いつくんだよ…」と困惑しながら見た記憶があります。アフタートークまで聞いたのに、私の感想メモには謎のポエムしか残っていません。相当なインパクトだったのだと思われます。

 

 

 

本題に戻します。

 

おなじコンビニで18年間アルバイトを続ける。

 

この状態を「普通」と言えるかという問いに対して、私はどう答えたらよいのでしょう。私の思う「普通」とは違うとしか言えません。

 

でも、この「普通」って誰が作ったものなんだろうって思います。

「普通の人間っていうのはね、普通じゃない人間を裁判するのが趣味なんですよ。」(115頁)

普通の人間はけっして人間を攻撃しようとしているわけではないんです。自分とそして周りと違って、普通じゃない(=おかしい)と感じるから、だから糾弾していく。

私はおそらく「普通」の人間に近くて、今も自分とは違う「普通じゃない」人間をあーだこーだ言って、楽しんでしまっているのかもしれない。

もしそうならそれは、どんなに恐ろしいことなんだろうと思います。

 

 

幼いころから自分が「普通」ではないことに気づいていた主人公は、自分自身をコンビニの一部にしていくことで、その違和感から逃れていました。

 

それが崩れていくのが物語の後半。

 

完全なコンビニ人間でなければ「普通」と認められないことを、それを「普通」じゃないと感じてしまっている私が悲しいなんて思っていいのか。それは自分とは違う考えや価値観を持つ人を無意識的に傷つけているんじゃないのか。

私にとっての「普通」の人間ってなんだろう。

 

圧巻の150頁でした。

【観劇】ロロ「四角い2つのさみしい窓」

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一度中止になった公演が戻ってきた。こんなに嬉しいことはない。

 

 

再会は二度目の一期一会。

 

この台詞が印象的だった。

 

失われた家族に再会した。

やっとの思いで会いたかった人たちに会えたというのに

このまま一緒にいるという選択を取らなかったことに驚いた。

 

その理由は いつかまた会えるから だった。

家族に依存していた彼がひとりで立っていけると感じさせてくれた。

 

壁に分断された世界で同じ場所に集合する四人と四人。

家族、夫婦、恋人、友達。

わたしと誰かの関係性はわたしだけのものだ。

 

周りに理解されなくても前例がなくても、

わたしとあなたの関係性はわたしたちだけのもの。

 

 

 

初対面の人に「演劇がすきで、やってて、よく観に行く」と話すと

100%「すごいね~!!」と返ってくる。

 

確かに演劇はマイナーな趣味だけど、「すごい」は腑に落ちない。

それはきっと私にとって演劇は「すごいこと」ではないからだろう。

 

誰のどんな趣味も「すごい」わけじゃない。

 

私にとって「すごい」と思うことも、本人にとってはそうじゃない。

だけど、自分の「すごい」を相手に押し付けてしまうことがある。

気をつけてはいるけれど、

いつのまにか私の尺度を相手にも当てはめて身勝手な評価をくだしてしまう。

 

 

 

演劇のすきなところは「同じ公演は二度と作れない」ところだ。

 

たとえ同じ演目で同じキャストでも、観客の反応や空気は公演ごとに変化する。

何度も稽古した演目であっても段取りや台詞をトチることがある。

照明や音響のタイミングをミスることもある。

変なトコでウケて反応を見てから次の台詞を発する時もある。

 

だから決して同じ公演はできない。

 

 

私は「劇場は観客がいることで完成し、演劇は観客がいるから成立する」

と思っているし、「一度きり」が演劇の醍醐味なのだと考えている。

 

毎回「一度きり」の体験を求めて劇場に足を運ぶ。

 

こんな時代になってからも何度か観劇に行ったが、

どの公演も感染対策ばっちりだった。

 

そもそも上演中のおしゃべりはマナー違反だから

観客たちが集まっても会話が生まれることはない。

私はいつもひとりで観に行くのでしゃべる相手もいない。

 

困難な状況のなかでも、

演劇を楽しめている私はとっても恵まれているし、幸せ者だと思う。

 

そう思うと同時に私ではない誰かのことを考える。

 

たまたま私の趣味は私一人だけでも楽しめるものだ。

けれどたまには私だって友達と感想戦しながら帰りたいし

観劇後にちょっと背伸びしたディナーを食べたい。

このちょっとした楽しみがずっと奪われているのはつらい。

 

私と同じかそれ以上に、

100パーセント趣味に打ち込めていない人が多くいるのだと思う。

 

きっとこの世には誰かと分かち合って、震えて、叫んでこそ

より楽しめるものがいっぱいある。

それを仕事に、趣味に、生きがいにしている人も多いはずなのだ。

 

それらがなんとか止まらずに途切れずに

このままあり続けることを願っている。

 

私と演劇のすきで結ばれた関係性は私のものだ。

でもだれかとだれかのすきの関係性も守られるべきなのだと思う。

 

だから私だけじゃない。

あなたのすきなものをすきに楽しめる日がはやくきますように。

わたしとあなたのすきなものがずっと続いていきますように。

【エッセイ】親知らずを抜いた話 左上

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私が初めて親知らずを抜いたのは大学3年の11月だった。

 

以前から左の奥歯らへんに痛みを感じる瞬間があった。食べ物を嚙むとぴりっとした痛み。ずっとあるわけじゃないけれどときどきくるいや~な感じ。

 

もしかしたら虫歯かもしれないな…でも歯医者さん行きたくないな…

いやでも歯医者は早めにいくほうがましだよな…と思っていた。(経験者は語る)

 

幼稚園の頃同じく左の奥歯に虫歯をつくり、眠れないほどの痛みが出るまで痛いと言い出せなかった私。その日の夜のことはめちゃめちゃ覚えてる。歯医者さんで歯科医師さん数人に抑え込まれながら治療された。(そのときの歯医者さんは10年近くお世話になったが、数年前にたたんでいた)

 

母に「最近歯が痛いんだよね、歯医者さん行こうかな」と言えるようになった私は、おじいちゃんお父さんもお世話になっている歯医者さんへ行くことに。家族3代でお世話になるが、はじめて行く歯医者さんで緊張していた。

 

私が虫歯かも…と思っていた痛みは、親知らずのかみ合わせがうまくいかず歯茎を傷つけていたことによるものだった。

 

レントゲンを撮って説明してもらったのだが、私の下の親知らずはまっすぐ生えているものの完全に出て来ていない状態だった。(半分顔を出してる感じ)その歯が出て来ていない部分に上の親知らずが当たって痛めていた。

 

気さくな先生は「けっこう傷ついてるね~痛いでしょ?」と。

虫歯じゃなかったことは良かったけれど、奥歯の歯磨きが苦手なことはばれていたので(治療跡もあるし)次回抜歯することを決め、歯磨き指導を受けた。

 

数日後,、痛みの原因である左上の親知らずを抜いた。

私の上の親知らずは完全にこんにちはしていて、まっすぐ生えていたので一瞬だった。歯医者さんで麻酔を打たれる経験は豊富なので、よっしゃよろしくお願いします!!!と前のめりだった。

 

ほんとうに一瞬で終わって、抜かれた歯を見せてくれた先生おもしろかったな。

 

でも歯を抜くのははじめてだったので思っていたより血が出て焦った。ガーゼが血でいっぱいになり、麻酔で感覚ないけど自分ちゃんと嚙めてるのか???と不安だった。とはいえすぐにおさまって、痛み止めとガーゼをもらって帰宅した。

 

それから数日は患部を優しく歯磨きすることを心掛けた。麻酔が切れてめちゃめちゃ痛いということもなかった。私の痛みは歯茎が傷ついているゆえなのですぐにはなくならなかったけれど、だんだんひいてきた。

 

ここまでが一本目の親知らずを抜いた話。

 

 

大学4年になった私はまた、左奥歯に痛みを感じるようになる…。

おそるおそる以前抜歯してくれた歯医者さんに診療予約の電話を入れる。

 

先生本人が出てびっくり。

 

症状と名前を伝えると、覚えていてくれたのか(おそらくカルテを取りに行って)「それは下の親知らずかな~おそらくここでは治療できないから、もう少し大きい病院の紹介状を渡すことになる可能性が高いけど見せにきて」と言われる。

 

親知らず説がでたけれど、左奥歯といえば、いにしえの虫歯が思い起こされる私。自分の歯磨きが信用できないので、虫歯説捨てないでよ先生と思いつつ歯医者さんへ。

 

痛みを感じる場所てきに、左下の親知らずが炎症を起こしている?らしい。奥歯の歯磨きが苦手なうえに、この親知らずが磨きにくさにスパートをかけているようだ…。

 

親知らずは悪い影響がなければ抜かなくてもいい歯だけれど、痛いときは抜く方がいい。ずっと痛いのはいやなので抜歯を決意。

 

レントゲンを見る限りまっすぐ生えている(プロが見たらナナメなのかもしれない)が半分しかこんにちはしてないので、ちゃんとした設備の整った病院を紹介してくれることになった。

 

 

20歳くらいで歯が痛いなと感じた人は親知らず関連のことが多いようです。無理せず我慢せずなるべく早めに歯医者さんに行くことをおすすめします。(虫歯の可能性も普通にあるのでなおさら早く)

 

歯医者さんに行くと、日々の歯磨きしっかりやらなきゃなって改めて思う。

歯磨き大事…歯磨き頑張らなきゃな…

 

ちなみに…

紹介してもらった病院で年明け親知らずを抜くことが決定しました!