【観劇】下鴨車窓「透明な山羊」

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先日、下鴨車窓さんの「透明な山羊」を観劇した。

私が観たのは津あけぼの座での公演。

 

 

ざっくりと内容を説明する。

 

 

一人の小説家が亡くなった。仕事場にしていた山奥の小屋でぽっくり逝った。

 

彼の遺品である大量のカセットテープを整理するために

息子は初めて小屋に来ていた。

 

彼の畑を耕していた知り合いのおじさんと彼の担当の編集者との待ち合わせ。

そこへ彼とコーラス仲間だった父を持つ女性が現れる。

 

父の墓参りをする女性は、崖から落ちて足をねん挫し

小屋で手当てを受ける。そしてどろどろになった衣服を着替える。

 

激しくなる雨、崖崩れ。山を下りることはできない。

四人は一夜を小屋で過ごすことになる…

 

 

カセットテープから聞こえる彼の声。

今ここに存在しないはずの彼が生きているみたいだ。

 

 

 

ラストシーンが印象的だった。

四人で小屋で過ごすのはありえたかもしれない一つの未来なのだろう。

 

息子と編集者、おじさんと女性。

それぞれは認識しあえるものの、残りの二人は消えてなくなってしまったようだ。

まるで透明にでもなったみたいに。

 

 

違和感はあった。

 

さっきまで話していた女性が大きな雷のあと姿を消した。

息子とおじさんはそれぞれ車で眠ることになった。

車から出てきた息子いわく女性はトイレに行くといって出て行ったらしい。

息子は大きな雷のあと闇に沈んでいくおじさんの車を見た。

女性は服を着替えてなんていなかった。

 

 

私が観ていた四人は幻想だったのではないか。

 

実は女性が崖から落ちた時、

そしておじさんが助けようとした時点で二人はもういなかったのかもしれない。

 

雷が落ちて火事になる。大きな火が小屋に近づく。

焼けるような赤のなか、編集者は息子に彼との”関係”を明かす。

その後の二人が助かったのかどうかわからない。

 

 

 

天井から垂れ下がった白幕に青い光が当てられる。

目線を落とすと

円を描くように続く伸ばし切ったカセットのテープまみれの白幕は

まるで三途の川のように思えた。

死んだことも死にそうになったこともないので想像だけど。

 

四人によって浮かび上がってくる彼の存在感。

私はただそれがこわかった。

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