【読書感想文】三分を待って

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カップラーメンを待つ三分はながい。

寒空の下で待つ電車は永遠に来ない気がする。

公衆電話は使ったことがないし、ウルトラマンはみたこともない。

 

 

私がこの作品で気に入ったのは次の部分だ。

 

「この三分は長いね」
一口に三分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つといった三分間はながく感じられる。 公衆電話の三分十円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは三分もあればじゅうぶんすぎる。
朝吹真理子『きことわ』新潮社 88頁

 

どれも同じ三分だけれど、感じるながさが違う。

 

たのしい時間やうれしい時間はあっというまで

逆にたいくつな時間やつまらない時間はながく感じられる。

 

人間はそういうふうにできているのかもしれない。

 

 

カップヌードルを待つ三分も、寒空の下で電車を待つ三分も、

ウルトラマンが変身できる三分も、同じ三分なのだ。

 

わたしがどう感じているかに関係なく、

時間というものは平等に全員に流れているもの。

 

時は金なりなんて有名な言葉があるけれど、

ぼーっとしていても、じーっとしていても、暴れまわっても、

おんなじだけの時間が流れていく。

 

三分の積み重ねで一時間に、一日に、一月に、一年になる。

だからこそ自分でどう実りのある時間にするかが大事だなと思った。

 

ながい三分もみじかい三分もわたしの三分だから素敵に過ごせたらいいな。