【エッセイ】成人の日と22歳のわたし

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先日は成人の日でした。成人式の思い出を語ると老いを感じてしまうのでやめます。

 

22歳になった今でも「大人」にはなれていない。実家でぬくぬく暮らしているわたしは料理も洗濯もまともにちゃんとしたことがないし、学業のPDCAサイクルは上手に回せないし、アルバイト以外で社会勉強らしきものもしていない。

 

こどものころ、20歳は「大人」だった。すきなものを食べて、すきなものを買って、そうやって暮らしているのだと思っていた。だから「大人」に近づけば近づくほど自由になれるものだと信じていた。

 

19歳と20歳にはマリアナ海溝くらい差があると思っていたけれど、特に何もなかった。普通の誕生日と同じようにこの日から20歳ですよ~と名乗れるようになっただけなのだ。誕生日当日にお酒でも飲めばそう感じたのかもしれないけれど、20歳になったから飲もうということもなかった。はじめてのお酒は20歳になってひと月たったころ、スナックのママのおすすめで400円のレモンサワーだった。大きめの四角い氷の音が響いて素敵だったけど、炭酸ってこんなにしゅわしゅわしてたっけ?と思ったし、これよりも150円の紅茶を飲むほうがわたしにはおいしいなと思ったのだった。

 

20歳と数年を過ごしてみると、あのころ思い描いていた「大人」と今のわたしは似ても似つかないことに気づいてちょっぴり落ち込む。なんであんなにキラキラして見えたのだろう。そのまま大きくなって22歳という称号を手に入れただけなのに。いつまでたっても自分に甘くて、走るのが遅くて、無駄なプライドは高くて。嫌になっちゃうな。

 

わたしにとって「大人」は憧れであったはずだけど、いざ自分がそれになってしまうと考えてもみなかった苦しさとか辛さが邪魔をして純粋に憧れるだけではいられない。

 

わたしはあのころどうにかはやく「大人」になれないかなと思っていた。だけど「大人」は20歳になったからなれるものではない。いつまでも、こどもではいられないとわかっている。じゃあいつわたしたちは「大人」になるのだろう。それは、自分がちっとも「大人」じゃないことに気づいたときなのかもしれない。「大人」になんてなれないわたしがそれでもなお進んでいく先にある未来の姿が「大人」なのかもしれない。

 

成人の日。おめでとうございます。今更かも。