【観劇】iaku「あつい胸さわぎ」

8/7(日)ザ・スズナリでiakuさんの「あつい胸さわぎ」を観てきました。

 

大学生になる千夏とそのシングルマザー昭子。平凡な二人暮らしに訪れる、新しい出会いとなつかしの再会。胸の奥に隠した本音と久しぶりの出会いに浮かれた胸の高鳴り。そしてよくない何かが起きてしまいそうな胸さわぎがずっと立ち込めていた。

どの登場人物も完璧じゃないところがよかった。フィクションには超人的で超越的なヒーローがもちろん必要なんだけど、私は演劇にそれを求めていない。不完全な人間の姿が見たいから。だからそれが見えたのがうれしかった。千夏はわかってもらいたいばっかりで母親に伝えようとしていないし、昭子さんは千夏を子ども扱いして自分が決断しなくてはと思い込んでいる。昭子さんの同僚の透子さんは綺麗だしすらっとしてるし気遣いもできるけど恋愛のタイミングはよろしくない。異動してきた木村さんはへらへら笑うばかりなのに肝心なところででっかい地雷を踏み抜いていく。千夏の幼馴染のこうくんは狙っていない相手には一線を引くし、失恋したら正ヒロインばりに落ち込む。

どうしようもない人ばっかりだけど、いとおしい。現実にも完全な人間はいない。だから欠けたところを埋め合わせるために一緒にいることを選んだのだと思う。

 

千夏のトラウマとして幼馴染の男子に「胸が大きくなった」とからかわれたことが語られ、ブラジャーを買ってくれなかった母親への怒りがみえる。

ふと、自分はどうだったかななんて考えた。

ブラジャーが欲しくなるタイミングって母親が「用意した方がいいかしら?」と思うちょっと前なことが多い。私自身、自分の「成長」を意識したのは小学校高学年の頃だった。夏になると学校ではプールの授業があって、揃いのぴちぴちのスイミングウェアを着て元気に泳いだ。更衣室でみんなが着替えるときに「あの子のおっぱいはふくらんできているな」とか「この子はもうちゃんとしたブラジャーをつけてるんだ」とかを見てしまっていた。そんでもって男女別れて体の仕組みや性教育についても勉強するから、白い体操服から透ける影が気になった。私は身長が高かったけれど(小学校って謎に身長順の制度があった)発育は遅めだったので、どうしたら追いつけるんだろうと鏡の前でもやもやした。母に「もうみんなしてるから」と言ってスポブラを買ってもらって、学校につけていった日には少し誇らしかったくらいだ。

 

思春期の娘と母親の関係性って家庭によってそれぞれだと思う。私の場合は千夏と昭子さんの関係性に似ていて恋愛の話とか将来の話はしない。まるで友達のように仲良しな母娘の関係に憧れもあるけれど、つかず離れずちょうどいい距離感でいてくれる母にとても感謝している。

それでも私たちと千夏と昭子さんと決定的に違うのは「一緒にご飯を食べる」「同じ趣味がある」の二点で、ふたりには共有が圧倒的に足りていなかったのではないか。

母から直筆の手紙をもらったことがある。手紙には私の頑張りを肯定する言葉が並んでいた。私はもともと勉強するのがすきで得意な子どもだった。その原動力は知っていることが増える喜びとやればやるだけ成果が返ってくる達成感からで、運動が苦手で跳び箱が飛べないし逆のぼりもできない自分の自尊心を支えていた。だから自分のために勉強していたというのが正しいのだけど、クラスで一番になるためにはそれなりの時間と労力をかけたと思う。そんな私を見ていてくれたことがうれしかったし、なにより言葉にして伝えてもらったことが私の宝物になっている。十何年経った今、母が私に手紙を出したことを覚えているのかはわからない。今更確認するのもなんだか気恥ずかしい。だけど私はきっとずっと覚えている。母がいつも使っていた水色のゲルインクのボールペンで書かれた罫線にそってまっすぐ整然と並ぶ美しい母の字を。私はいつか言えるのかな。母の目を見てちゃんと「ありがとう」って。

そんなふたりきりの思い出を、千夏と昭子さんはこれからもっと重ねていけるのだと思う。自分の気持ちと向き合って、相手の気持ちを知って理解して、どうするのかどうしたいのか決断できるはずだ。もちろん覚悟したはずの決断に迷うことも悩むこともあるだろうけれど、それをどうするにせよ、ステーキを食べながら話したふたりの時間だけは変わらずずっとそこにあるはずだ。

 

久々に小劇場でお芝居を観た。お尻が痛くなるパイプ椅子とびっくりする量のチラシ(特に多かった印象)にこれもまあ醍醐味の一つかなと思ったりなんだり。