【観劇】下鴨車窓「透明な山羊」

f:id:plum_eye_eye:20211022232042p:plain

先日、下鴨車窓さんの「透明な山羊」を観劇した。

私が観たのは津あけぼの座での公演。

 

 

ざっくりと内容を説明する。

 

 

一人の小説家が亡くなった。仕事場にしていた山奥の小屋でぽっくり逝った。

 

彼の遺品である大量のカセットテープを整理するために

息子は初めて小屋に来ていた。

 

彼の畑を耕していた知り合いのおじさんと彼の担当の編集者との待ち合わせ。

そこへ彼とコーラス仲間だった父を持つ女性が現れる。

 

父の墓参りをする女性は、崖から落ちて足をねん挫し

小屋で手当てを受ける。そしてどろどろになった衣服を着替える。

 

激しくなる雨、崖崩れ。山を下りることはできない。

四人は一夜を小屋で過ごすことになる…

 

 

カセットテープから聞こえる彼の声。

今ここに存在しないはずの彼が生きているみたいだ。

 

 

 

ラストシーンが印象的だった。

四人で小屋で過ごすのはありえたかもしれない一つの未来なのだろう。

 

息子と編集者、おじさんと女性。

それぞれは認識しあえるものの、残りの二人は消えてなくなってしまったようだ。

まるで透明にでもなったみたいに。

 

 

違和感はあった。

 

さっきまで話していた女性が大きな雷のあと姿を消した。

息子とおじさんはそれぞれ車で眠ることになった。

車から出てきた息子いわく女性はトイレに行くといって出て行ったらしい。

息子は大きな雷のあと闇に沈んでいくおじさんの車を見た。

女性は服を着替えてなんていなかった。

 

 

私が観ていた四人は幻想だったのではないか。

 

実は女性が崖から落ちた時、

そしておじさんが助けようとした時点で二人はもういなかったのかもしれない。

 

雷が落ちて火事になる。大きな火が小屋に近づく。

焼けるような赤のなか、編集者は息子に彼との”関係”を明かす。

その後の二人が助かったのかどうかわからない。

 

 

 

天井から垂れ下がった白幕に青い光が当てられる。

目線を落とすと

円を描くように続く伸ばし切ったカセットのテープまみれの白幕は

まるで三途の川のように思えた。

死んだことも死にそうになったこともないので想像だけど。

 

四人によって浮かび上がってくる彼の存在感。

私はただそれがこわかった。

f:id:plum_eye_eye:20211022231514j:plain

【エッセイ】春の訪れはいづこ

f:id:plum_eye_eye:20211021214233p:plain

 

今年の春、私はすきなアイドルのコンサートに行く予定だった。

念をこめながらチケットを応募して、5月の北海道公演の席が用意された。飛行機とか泊まるホテルの手配とかがまったく分からなくて、大あわてしていたら、一緒にいくフレンドがすごいはやさで何もかもを決めてくれた。

おいしいものがたくさんあるから、コンサートおわりに北海道を楽しんで帰ろうと相談。旅のしおりづくりはまた今度ということで落ちついた2月。

 

 

でも

いつのまにか世界は思わぬ方向に進んでいた。

 

 

約束の場所はふわりと消えてなくなってしまった。

 

 

見慣れた自室でひとりパソコンに向き合う。四角い枠に切り取られた私の姿に最初は困惑したけれど今ではこんなもんかと受け入れている自分がいる。

そういえば今年は桜が咲くのも散るのも見ていない気がして窓の外を見た。恨めしいくらいの冬の青い空だ。

 

 

もし催花雨が降るのなら、次の春は花が咲くのを見せてはくれないか。

【読書感想文】銀河を走る列車

f:id:plum_eye_eye:20211019120052p:plain

私は電車の窓から見える景色がすきだ。

 

高校生の頃、帰りの電車から田んぼの緑が見えたときひどく安心したのを思い出す。朝一番空港に行くために重たいキャリーバックと一緒に乗った始発電車からは太陽が昇っていくのが見えた。夜の電車は何も見えない。疲れた私の顔とにらめっこするだけなのだが、にらめっこしていると不審者なので我慢しないといけない。

 

そんななんでもない自分と電車の窓から見えた景色のことを、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(角川文庫)を読んで思い出した。

 

ここ一年ほど日常的に電車に乗る機会がなくなったからなのだろうか、思い出した景色は懐かしいものだった。大学の授業はオンラインがほとんどだし、そもそも学年が上がって取らなきゃいけない授業も少なくなった。外に出ていかなくても時間は進んでいくことを知った。2020年もあっという間で、カレンダーもあと一枚めくるだけ。私だけが時の流れに置いて行かれたような感じがして寂しい。

 

ふと思う。

 

電車に乗ることは私にとってのちいさな冒険だったのではないか。はじめての場所に行くときはいつも、ドキドキして窓の外ばかり眺めていた。景色が変わっていくようすを見つめていたのだ。

 

もしいつか私が銀河鉄道に乗る時もこんな気持ちになるのかな。私だけの切符を持って乗る列車からはどんな景色が見えるのだろうか。

 

ちょっぴり楽しみかもしれない。