【読書感想文】少年を衝き動かした言葉

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「そうかそうか、おまえはそういうやつだったんだな」

 

これが、私の覚えている『少年の日の思い出』だった。

 

隣の家のエーミールが珍しい蝶を捕まえた。

「ぼく」はとても羨ましくて

こっそりエーミールの蝶を盗み、壊してさえしまう。

 

そのことを打ち明けた時に

「ぼく」にかけられるのがエーミールのこの言葉だった。

 

 

私にとって、『少年の日の思い出』は

犯した罪の大きさを知ることができる作品だし

自分の行動によって誰かから決定的に拒絶される

という経験を得られる作品だと思う。

 

もちろん蝶を盗もうとして壊した「ぼく」が悪いのは言うまでもないが、

それでもこんなにガツンと殴られるような

エーミールの言葉は必要だったのかと思っていた。

 

ちゃんと謝って仲直りしてハッピーエンド。

そんなしあわせな話ばかりが私の周りにありすぎたんだけど。

 

 

もう一度この作品を読み返してみると、

記憶にある意地悪で、調子に乗っていたエーミールはいなかった。

 

むしろ彼は蝶を愛して大切にしているし

怒りに任せてどなったり暴れたりしないし

優等生な人だった。

我ながらひどい記憶の改ざんだなと思うけど

エーミール自体よりも、その言葉ばかりに注目してしまうからなんだろう。

「きみはそういうやつ」という言葉から

悪いイメージを勝手に作っていたのかもしれない。

 

 

ちなみに今回読んだ

『少年の日の思い出 ヘッセ青春小説集』(草思社文庫)の「少年の日の思い出」で、

エーミールが「ぼく」にかけた言葉は以下のとおりだった。

 

「そう、そう、きみって、そういう人なの?」

 

この言葉について私は、

私がこれまでに読んできたもの

記憶の中にあったものとは違うニュアンスを感じている。

 

それまではエーミールの家柄や権力を感じてしまうことが多かったが、

今回は違った。

 

エーミールの純粋な疑問でシンプルな確認なのだろう。

同じく蝶を集め、コレクションしている同志として

「ぼく」を責めつつも突き放している。

 

コレクターとしては、同じコレクターたちにも、

そして蝶たちにも愛やリスペクトを感じられないといけないと思う。

だからこそ、このエーミールの言葉からは

いかに彼が本気で蝶の採集に取り組んでいるかが示されているのだろう。

 

ちょっぴり見方が変わるのと、あたらしい発見がある。

【エッセイ】絵本の「二冊目」を買う理由

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私はこの日もアルバイトをしていた。

 

贈り物に選んでいただけることが多い書店。

冬の凍てつくような寒さに合わせて

しっとりとしたBGMが流れるようになってきたこの頃。

 

 

注文商品が届いたというおばあさんが私のレジにやってきた。

名前とタイトルを聞いて、本を探す。

 

絵本を頼んでいたらしい。

 

頼んでいたものが合っているか確認し、レジに通す。

ピッ、ピッという電子音が響く。

 

 

すると、おばあさんが「ラッピングをお願いしたいんだけど…」

と私に伝えてくれた。

私のアルバイト先である本屋さんでは、贈り物用のラッピングを承っている。

 

ラッピングは誰かをワクワクさせるための準備、

そのお手伝いをしているみたいで楽しい。

 

先に会計を済ませて、包装紙を選んでもらう。

おばあさんはかわいらしい動物が載ったものにするそうだ。

 

さっそくラッピングに取り掛かる私に、

おばあさんはこの本を注文して買ってくれた理由を教えてくれた。

 

 

 

実はおばあさん、この絵本は二冊目だそう。

ラッピングし終えてキラキラのシールとリボンをつけた「二冊目」は、

遠くにいる娘さんとお孫さんのところに贈るらしい。

 

こんな状況だから会えないけれど、プレゼントとして贈りたいのだという。

おばあさんは以前この店で買った「一冊目」をとても気に入り、

この絵本を大切な人に届けたい、そう思ったそうだ。

 

 

私は胸がジンとあつくなった。うれしかった。

 

 

それは、本という存在が誰かの心を届いているんだとに改めて気づけたからだ。

 

この「二冊目」の絵本には、

おばあさんの、娘さんやお孫さんに会いたい気持ちがたくさん詰まっている。

 

大切な人を思う気持ちがたくさん詰まっている。

 

贈る側、受け取る側の両方が

「二冊目」の絵本を通してあったかい気持ちを共有するのだろう。

 

そして、私の働いている場所が

そんなあたたかさを届ける助けをしていることが誇らしかった。

 

私がラッピングした「二冊目」は

多くの人の力を借りながら、

遠くにいるおばあさんの大切な人のもとに届くのだろう。

 

ワクワクしながらページを開いていてくれるといいな、そう思う。

 

 

誰かの、大切な人を思う、あたたかな気持ちは、

今日もどこかで届けられているんだろう。

 

その過程にちょっぴり関われたことがうれしい。

 

 

絵本の「二冊目」を買う理由は、とってもやさしくてあったかい。

【読書感想文】こんばんは、カレーライス

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私と重松清作品の出会いは、

小学校の国語の教科書に載っていた「カレーライス」だ。

 

 

どうやら六年生で習うみたい。

私は今年二十二歳になるので

ちょうどはじめての出会いから十年が経つのだなあ。

 

 

大学生になった私は図書館で懐かしいタイトルに再会する。

それが『カレーライス 教室で出会った重松清

 

お!と思って棚から取り出してそのまま借りてきた。

 

 

この本には、全部で九編収められている。

 

カレーライス

千代に八千代に

ドロップスは神さまの涙

あいつの年賀状

北風ぴゅう太

もうひとつのゲルマ

にゃんこの目

バスに乗って

卒業ホームラン

 

どのお話でも、家族や友達に対するもやもやを抱えていて、

そのもやもやのリアルさというか、

わかる気がする、こう感じていた気がする

と思わせてくれるような力があるなと感じた。

 

私のお気に入りは「カレーライス」「バスに乗って」

 

カレーライス は思い出補正がかなりある。

でも読み返してみると、細かい記憶違いはあるものの、

こういう話だった~!というなつかしさがあったな。

 

主人公の男の子は小学六年生だけど、

すでに中辛を食べ始めていることに驚きました。

 

私は辛いものがダメなので、

今現在も中辛はからい!!!と思って食べている。

 

甘口だからこども、辛口ならおとな。

なら中辛はちょっぴりおとな、なのかな?

 

別にどの辛さを選んでもいいけれど、

おとなになれば自然と辛口カレーが似合う人になると思っていたのに…

 

現実は厳しいものでした。

 

 

バスに乗って はまあバスに乗る話なんですが

(ネタバレに最大限配慮した結果)

そのひたむきな思いに、

おばちゃんはボロボロ泣いてしまった。

 

私はあんまりバス経験がなく、

いつもドキドキしながら乗っている。

 

乗ってから降りるまでの

ちゃんと降りますボタン押せるのか、スムーズに立ち上がれるのか、

運賃箱にミスなく小銭を入れられるか、運転手さんにありがとうが言えるのか、

などなど一連のミッションたちをきちんと達成できるのか、

いつも真剣勝負なことを思い出す。

 

どれもあったかいお話だったので

からだやこころが疲れたときに触れてしまうと、

そのやさしさや愛に包みこまれてしまうんだなあ。

 

ほんとうに危険。

読むタイミングや場所にはくれぐれもご注意ください。

 

 

 

ちなみに今夜はカレーライスでした。

 

【エッセイ】会いたくて会いたくて震えるってすごい

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私がはじめて買ったCDは

西野カナの「会いたくて会いたくて」

 

あれは、今ほど音楽が気軽に聴けるような頃じゃなくて

CDを買ってプレイヤーに入れて、再生ボタンを押す、そんな頃。

 

今考えればびっくりするくらいの手間だけど

ここまでして聞けるのが音楽だったなと思う。

 

ティーンだった私の前に突如現れた

明るい髪の、メイクがバチバチの、歌が上手なおねえさん。

あっというまにヒットを出して、スターダムへ。

 

近所のショップでこのCDを見つけて買ったあの日。

 

なんで「会いたくて会いたくて」を買ったのか

正直理由はわからない。

 

はちゃめちゃ流行った!!!という感覚はある。

しかしあの頃の西野カナは出すたびにヒットしていました。

 

そのなかで私がなぜ「会いたくて会いたくて」を買ったのか、

その理由は謎。

 

 

考えても分からなかったので、曲を聞くことにしました。

 

 

会いたくて会いたくて震える

 

 

やっぱり今聞いても凄いフレーズ。

震えるほどに会いたいだなんて。

 

 

震えるといったら、

寒さに凍えるときと恐ろしいものに出会ったとき。

(できれば震えずに生きていたいです。)

 

この歌って簡単に分けたら失恋ソングで、

未練たらたらなわけじゃないですか。

 

この「会いたくて会いたくて震える」ってのも、

どう考えてもポジティブな感情じゃありません。

 

もうやり直せない相手のことを、

やり直せないとわかっていても、

会いたい。その気持ちで体が震えてしまうほどに。

 

なんとも辛く、悲しい気持ちの詰まったフレーズなんだ、と。

 

ティーンの私は、そんなこと考えてもいなかった。

でも少し大人になった私はこの歌の主人公のことを心配してしまう。

 

誰かと出会って、新しい恋に向かえたのだろうか、

そんな10年越しの心配をしてしまいます。

 

 

西野カナ有識者ではないのでざっくりと感じた主観ですが、

初期(2010年あたり?)から最近(2017とかそのへん)にかけて、

歌のテーマが、切ないや失恋から

明るい、両想い、応援歌に変わったような気がします。

(あくまで個人の感想です。アルバムとかは違うかもしれない。)

 

共感を得る恋愛のテーマは変わっていくのでしょう。

音楽を、自分でつくること、発信することができるようになって、

もっと身近になった今、どこから火がつくかなんて予測不可能です。

 

だからおもしろいなと思います。

 

音楽はそばにやってきました。

それは姿が目に見えないからでしょうか。

それに対して形のあるCDはちょっと特別なものになった気がします。

いや、まだまだ力を持っているけれど。

 

だからあの頃の私と同じくらいのティーンは、

CDをこれから手にするのかもしれません。

 

はじめての一枚が、大切な一枚になるといいなと

ティーンじゃなくなった私はそう思います。

 

【観劇】下鴨車窓「散乱マリン」

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先日、下鴨車窓さんの「散乱マリン」を観劇した。

 

芝生と壊れて積み重なった自転車があるだけの舞台なのに

海の底にいるような感じがした。

 

知らない人にこのことだけを伝えてもなにもわかってはもらえないだろうけど

ひとすじの青色のライトは、空の青じゃなくて海の青だったように思う。

 

劇場からの帰り道

ひとりでその日みた演劇のことをぐるぐる考えるのがすきだ。

誰かとみに行って「ここが印象に残った!」とか

「キャストのここの演技すごかった!」とか

話すのも楽しいけれど、ぐるぐる自分で考える時間もおもしろくて楽しい。

 

その日は海の青について、ぐるぐる考えていた。

もちろんタイトルに「マリン」と付くので

それはそうと言われればそこでおしまいなのだけれど

なにかもう一つあるような気がしていた。

 

 

ぐるぐる、ぐるぐる、考える。

ぐるぐる、考える。

 

 

私は開演前、もらったパンフレットたちに先に全部目を通すタイプの人間である。

なんとなく海の青だと思った理由が

脚本と演出を務めた田辺剛さんのあいさつの文章にあった。

 

 

私もあの日から

海の底に静かに眠っている名も知らない誰かのことを想像していたのだろう。

彼らは今日どんな夢をみるのだろうか、

昨日は?そして明日は? 

 

人だけじゃない。

忘れ去られていくモノも景色も思い出もたくさんあるのだ。

私が忘れてしまっていることに気づいていないだけ。

 

そうやってどこかに置いてきた何かが

いったいどれだけあるんだろうと考える。

考えても分からないものは分からないけど。

 

忘れちゃいけないはずなのに、

忘れたくても忘れられない人もいるはずなのに、

私がいつのまにか取りこぼしてしまっていた気持ちにまた会えた気がした。

 

 

すてきな公演でした。ありがとうございました。

 

 

P.S.

演劇をソーシャルディスタンスでみるのは初めてだったけど、

隣の人に気を付けなくていいのが楽だった。

カバンとか着てきたコート邪魔じゃないかなとか動いたらぶつからないかなとか、

そういう心配をしなくていいのがよかったな。

 

またいけるといいな。

【読書感想文】三分を待って

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カップラーメンを待つ三分はながい。

寒空の下で待つ電車は永遠に来ない気がする。

公衆電話は使ったことがないし、ウルトラマンはみたこともない。

 

 

私がこの作品で気に入ったのは次の部分だ。

 

「この三分は長いね」
一口に三分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つといった三分間はながく感じられる。 公衆電話の三分十円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは三分もあればじゅうぶんすぎる。
朝吹真理子『きことわ』新潮社 88頁

 

どれも同じ三分だけれど、感じるながさが違う。

 

たのしい時間やうれしい時間はあっというまで

逆にたいくつな時間やつまらない時間はながく感じられる。

 

人間はそういうふうにできているのかもしれない。

 

 

カップヌードルを待つ三分も、寒空の下で電車を待つ三分も、

ウルトラマンが変身できる三分も、同じ三分なのだ。

 

わたしがどう感じているかに関係なく、

時間というものは平等に全員に流れているもの。

 

時は金なりなんて有名な言葉があるけれど、

ぼーっとしていても、じーっとしていても、暴れまわっても、

おんなじだけの時間が流れていく。

 

三分の積み重ねで一時間に、一日に、一月に、一年になる。

だからこそ自分でどう実りのある時間にするかが大事だなと思った。

 

ながい三分もみじかい三分もわたしの三分だから素敵に過ごせたらいいな。

【お題】10の質問に答えてみた

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はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名:三行日記

そんなたいそうなものは書けないけれど、まず三行という気持ちから。

 

ハンドルネーム:plum_eye_eye

本名に「うめ」の字が入るのでplum

めが続くとかわいいのでeyeを。人間の目は基本二つありますからね(?)

 

 

はてなブログを始めたきっかけは?

アウトプットをしたくてブログを始めた。

元々いた場所は使いやすかったけれど、それ以外で思う所があってこちらへ。

 

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

自分の書いた感想記事がすき。

発想が飛躍しがちなので、へんなの~と思いながら読み返す。

 

 

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

おもしろいものを読んだとき、観たとき、触れたとき。

 

 

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

移行予定の記事が少し。

読書感想文とエッセイと観劇メモばかり。

 

 

自分の記事を読み返すことはある?

ある。

個人的な流行の言い回しを見つけられるのでときどき読み返す。

うまく書けない時気分転換に読み返すことも。

 

 

好きなはてなブロガーは?

まだいないかも。いまいち検索の仕方が分かってない。

 

 

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

お世話になっています。これからの10年もよろしくお願いします。

 

 

10年前は何してた?

小学6年生。運動会は組体操とうずしおに出場した記憶がある。

縦割り班で1年生を6年生が運ぶ謎の競技がつらかった。

人間は小さくとも重い。

 

 

この10年を一言でまとめると?

大人になったようで子どものままの10年。

これからの10年は「自立」と「健やかで素敵な暮らし」をモットーに

精進していきます。