【エッセイ】会いたくて会いたくて震えるってすごい

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私がはじめて買ったCDは

西野カナの「会いたくて会いたくて」

 

あれは、今ほど音楽が気軽に聴けるような頃じゃなくて

CDを買ってプレイヤーに入れて、再生ボタンを押す、そんな頃。

 

今考えればびっくりするくらいの手間だけど

ここまでして聞けるのが音楽だったなと思う。

 

ティーンだった私の前に突如現れた

明るい髪の、メイクがバチバチの、歌が上手なおねえさん。

あっというまにヒットを出して、スターダムへ。

 

近所のショップでこのCDを見つけて買ったあの日。

 

なんで「会いたくて会いたくて」を買ったのか

正直理由はわからない。

 

はちゃめちゃ流行った!!!という感覚はある。

しかしあの頃の西野カナは出すたびにヒットしていました。

 

そのなかで私がなぜ「会いたくて会いたくて」を買ったのか、

その理由は謎。

 

 

考えても分からなかったので、曲を聞くことにしました。

 

 

会いたくて会いたくて震える

 

 

やっぱり今聞いても凄いフレーズ。

震えるほどに会いたいだなんて。

 

 

震えるといったら、

寒さに凍えるときと恐ろしいものに出会ったとき。

(できれば震えずに生きていたいです。)

 

この歌って簡単に分けたら失恋ソングで、

未練たらたらなわけじゃないですか。

 

この「会いたくて会いたくて震える」ってのも、

どう考えてもポジティブな感情じゃありません。

 

もうやり直せない相手のことを、

やり直せないとわかっていても、

会いたい。その気持ちで体が震えてしまうほどに。

 

なんとも辛く、悲しい気持ちの詰まったフレーズなんだ、と。

 

ティーンの私は、そんなこと考えてもいなかった。

でも少し大人になった私はこの歌の主人公のことを心配してしまう。

 

誰かと出会って、新しい恋に向かえたのだろうか、

そんな10年越しの心配をしてしまいます。

 

 

西野カナ有識者ではないのでざっくりと感じた主観ですが、

初期(2010年あたり?)から最近(2017とかそのへん)にかけて、

歌のテーマが、切ないや失恋から

明るい、両想い、応援歌に変わったような気がします。

(あくまで個人の感想です。アルバムとかは違うかもしれない。)

 

共感を得る恋愛のテーマは変わっていくのでしょう。

音楽を、自分でつくること、発信することができるようになって、

もっと身近になった今、どこから火がつくかなんて予測不可能です。

 

だからおもしろいなと思います。

 

音楽はそばにやってきました。

それは姿が目に見えないからでしょうか。

それに対して形のあるCDはちょっと特別なものになった気がします。

いや、まだまだ力を持っているけれど。

 

だからあの頃の私と同じくらいのティーンは、

CDをこれから手にするのかもしれません。

 

はじめての一枚が、大切な一枚になるといいなと

ティーンじゃなくなった私はそう思います。

 

【観劇】下鴨車窓「散乱マリン」

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先日、下鴨車窓さんの「散乱マリン」を観劇した。

 

芝生と壊れて積み重なった自転車があるだけの舞台なのに

海の底にいるような感じがした。

 

知らない人にこのことだけを伝えてもなにもわかってはもらえないだろうけど

ひとすじの青色のライトは、空の青じゃなくて海の青だったように思う。

 

劇場からの帰り道

ひとりでその日みた演劇のことをぐるぐる考えるのがすきだ。

誰かとみに行って「ここが印象に残った!」とか

「キャストのここの演技すごかった!」とか

話すのも楽しいけれど、ぐるぐる自分で考える時間もおもしろくて楽しい。

 

その日は海の青について、ぐるぐる考えていた。

もちろんタイトルに「マリン」と付くので

それはそうと言われればそこでおしまいなのだけれど

なにかもう一つあるような気がしていた。

 

 

ぐるぐる、ぐるぐる、考える。

ぐるぐる、考える。

 

 

私は開演前、もらったパンフレットたちに先に全部目を通すタイプの人間である。

なんとなく海の青だと思った理由が

脚本と演出を務めた田辺剛さんのあいさつの文章にあった。

 

 

私もあの日から

海の底に静かに眠っている名も知らない誰かのことを想像していたのだろう。

彼らは今日どんな夢をみるのだろうか、

昨日は?そして明日は? 

 

人だけじゃない。

忘れ去られていくモノも景色も思い出もたくさんあるのだ。

私が忘れてしまっていることに気づいていないだけ。

 

そうやってどこかに置いてきた何かが

いったいどれだけあるんだろうと考える。

考えても分からないものは分からないけど。

 

忘れちゃいけないはずなのに、

忘れたくても忘れられない人もいるはずなのに、

私がいつのまにか取りこぼしてしまっていた気持ちにまた会えた気がした。

 

 

すてきな公演でした。ありがとうございました。

 

 

P.S.

演劇をソーシャルディスタンスでみるのは初めてだったけど、

隣の人に気を付けなくていいのが楽だった。

カバンとか着てきたコート邪魔じゃないかなとか動いたらぶつからないかなとか、

そういう心配をしなくていいのがよかったな。

 

またいけるといいな。

【読書感想文】三分を待って

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カップラーメンを待つ三分はながい。

寒空の下で待つ電車は永遠に来ない気がする。

公衆電話は使ったことがないし、ウルトラマンはみたこともない。

 

 

私がこの作品で気に入ったのは次の部分だ。

 

「この三分は長いね」
一口に三分といっても、カップラーメンを待つ、風が吹きすさぶ早朝に電車を待つといった三分間はながく感じられる。 公衆電話の三分十円は会話する相手によりけりだけれど、ウルトラマンは三分もあればじゅうぶんすぎる。
朝吹真理子『きことわ』新潮社 88頁

 

どれも同じ三分だけれど、感じるながさが違う。

 

たのしい時間やうれしい時間はあっというまで

逆にたいくつな時間やつまらない時間はながく感じられる。

 

人間はそういうふうにできているのかもしれない。

 

 

カップヌードルを待つ三分も、寒空の下で電車を待つ三分も、

ウルトラマンが変身できる三分も、同じ三分なのだ。

 

わたしがどう感じているかに関係なく、

時間というものは平等に全員に流れているもの。

 

時は金なりなんて有名な言葉があるけれど、

ぼーっとしていても、じーっとしていても、暴れまわっても、

おんなじだけの時間が流れていく。

 

三分の積み重ねで一時間に、一日に、一月に、一年になる。

だからこそ自分でどう実りのある時間にするかが大事だなと思った。

 

ながい三分もみじかい三分もわたしの三分だから素敵に過ごせたらいいな。

【お題】10の質問に答えてみた

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はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

 

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名:三行日記

そんなたいそうなものは書けないけれど、まず三行という気持ちから。

 

ハンドルネーム:plum_eye_eye

本名に「うめ」の字が入るのでplum

めが続くとかわいいのでeyeを。人間の目は基本二つありますからね(?)

 

 

はてなブログを始めたきっかけは?

アウトプットをしたくてブログを始めた。

元々いた場所は使いやすかったけれど、それ以外で思う所があってこちらへ。

 

 

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

自分の書いた感想記事がすき。

発想が飛躍しがちなので、へんなの~と思いながら読み返す。

 

 

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

おもしろいものを読んだとき、観たとき、触れたとき。

 

 

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

移行予定の記事が少し。

読書感想文とエッセイと観劇メモばかり。

 

 

自分の記事を読み返すことはある?

ある。

個人的な流行の言い回しを見つけられるのでときどき読み返す。

うまく書けない時気分転換に読み返すことも。

 

 

好きなはてなブロガーは?

まだいないかも。いまいち検索の仕方が分かってない。

 

 

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

お世話になっています。これからの10年もよろしくお願いします。

 

 

10年前は何してた?

小学6年生。運動会は組体操とうずしおに出場した記憶がある。

縦割り班で1年生を6年生が運ぶ謎の競技がつらかった。

人間は小さくとも重い。

 

 

この10年を一言でまとめると?

大人になったようで子どものままの10年。

これからの10年は「自立」と「健やかで素敵な暮らし」をモットーに

精進していきます。

【観劇】下鴨車窓「透明な山羊」

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先日、下鴨車窓さんの「透明な山羊」を観劇した。

私が観たのは津あけぼの座での公演。

 

 

ざっくりと内容を説明する。

 

 

一人の小説家が亡くなった。仕事場にしていた山奥の小屋でぽっくり逝った。

 

彼の遺品である大量のカセットテープを整理するために

息子は初めて小屋に来ていた。

 

彼の畑を耕していた知り合いのおじさんと彼の担当の編集者との待ち合わせ。

そこへ彼とコーラス仲間だった父を持つ女性が現れる。

 

父の墓参りをする女性は、崖から落ちて足をねん挫し

小屋で手当てを受ける。そしてどろどろになった衣服を着替える。

 

激しくなる雨、崖崩れ。山を下りることはできない。

四人は一夜を小屋で過ごすことになる…

 

 

カセットテープから聞こえる彼の声。

今ここに存在しないはずの彼が生きているみたいだ。

 

 

 

ラストシーンが印象的だった。

四人で小屋で過ごすのはありえたかもしれない一つの未来なのだろう。

 

息子と編集者、おじさんと女性。

それぞれは認識しあえるものの、残りの二人は消えてなくなってしまったようだ。

まるで透明にでもなったみたいに。

 

 

違和感はあった。

 

さっきまで話していた女性が大きな雷のあと姿を消した。

息子とおじさんはそれぞれ車で眠ることになった。

車から出てきた息子いわく女性はトイレに行くといって出て行ったらしい。

息子は大きな雷のあと闇に沈んでいくおじさんの車を見た。

女性は服を着替えてなんていなかった。

 

 

私が観ていた四人は幻想だったのではないか。

 

実は女性が崖から落ちた時、

そしておじさんが助けようとした時点で二人はもういなかったのかもしれない。

 

雷が落ちて火事になる。大きな火が小屋に近づく。

焼けるような赤のなか、編集者は息子に彼との”関係”を明かす。

その後の二人が助かったのかどうかわからない。

 

 

 

天井から垂れ下がった白幕に青い光が当てられる。

目線を落とすと

円を描くように続く伸ばし切ったカセットのテープまみれの白幕は

まるで三途の川のように思えた。

死んだことも死にそうになったこともないので想像だけど。

 

四人によって浮かび上がってくる彼の存在感。

私はただそれがこわかった。

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【エッセイ】春の訪れはいづこ

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今年の春、私はすきなアイドルのコンサートに行く予定だった。

念をこめながらチケットを応募して、5月の北海道公演の席が用意された。飛行機とか泊まるホテルの手配とかがまったく分からなくて、大あわてしていたら、一緒にいくフレンドがすごいはやさで何もかもを決めてくれた。

おいしいものがたくさんあるから、コンサートおわりに北海道を楽しんで帰ろうと相談。旅のしおりづくりはまた今度ということで落ちついた2月。

 

 

でも

いつのまにか世界は思わぬ方向に進んでいた。

 

 

約束の場所はふわりと消えてなくなってしまった。

 

 

見慣れた自室でひとりパソコンに向き合う。四角い枠に切り取られた私の姿に最初は困惑したけれど今ではこんなもんかと受け入れている自分がいる。

そういえば今年は桜が咲くのも散るのも見ていない気がして窓の外を見た。恨めしいくらいの冬の青い空だ。

 

 

もし催花雨が降るのなら、次の春は花が咲くのを見せてはくれないか。

【読書感想文】銀河を走る列車

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私は電車の窓から見える景色がすきだ。

 

高校生の頃、帰りの電車から田んぼの緑が見えたときひどく安心したのを思い出す。朝一番空港に行くために重たいキャリーバックと一緒に乗った始発電車からは太陽が昇っていくのが見えた。夜の電車は何も見えない。疲れた私の顔とにらめっこするだけなのだが、にらめっこしていると不審者なので我慢しないといけない。

 

そんななんでもない自分と電車の窓から見えた景色のことを、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』(角川文庫)を読んで思い出した。

 

ここ一年ほど日常的に電車に乗る機会がなくなったからなのだろうか、思い出した景色は懐かしいものだった。大学の授業はオンラインがほとんどだし、そもそも学年が上がって取らなきゃいけない授業も少なくなった。外に出ていかなくても時間は進んでいくことを知った。2020年もあっという間で、カレンダーもあと一枚めくるだけ。私だけが時の流れに置いて行かれたような感じがして寂しい。

 

ふと思う。

 

電車に乗ることは私にとってのちいさな冒険だったのではないか。はじめての場所に行くときはいつも、ドキドキして窓の外ばかり眺めていた。景色が変わっていくようすを見つめていたのだ。

 

もしいつか私が銀河鉄道に乗る時もこんな気持ちになるのかな。私だけの切符を持って乗る列車からはどんな景色が見えるのだろうか。

 

ちょっぴり楽しみかもしれない。